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日銀は大丈夫なのか



欧米で銀行不安が広がっている。
欧米に比べ、経済的に劣る日本の銀行は大丈夫なのか。
発行された半分以上の国債と大量の株を保有している日本銀行は大丈夫なのか。
地方銀行は大丈夫なのか。
思い出すのは、
二十数年前の1997年から1998年にかけ、北海道拓殖銀行(拓銀)、日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)、山一證券、三洋証券など大手金融機関が、不良債権の増加や株価低迷のあおりを受けて倒産した。
この時から、銀行が倒産しても、預貯金の1000万円までしか保証されなくなった。

もし、不安が広がれば、財政力の弱い日本は、たちまち破綻する。


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防衛費を倍増できる国力はない


日本は、世界一の地震・火山国であり資源もなく耕地面積も少なく温暖化による自然災害をもろに受けやすい島国。人口減少と高齢化、莫大な借金を抱え、経済競争力も科学競争力も急速に衰えている。
消費も税収も増える要素は全くなく、借金漬けの自転車操業が続き、国力は衰退し、いずれ破綻する。
破滅の道を少しでも遅らせ、改善する道を探らなければならない重要な時期に、防衛力を倍増するなんて愚の骨頂だ。
たとえ、一時的に倍増出来たとして、借金漬けの国に、莫大な防衛費を出し続ける国力はない。
破滅の時期を早めるだけ。


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2023年3月句会 [俳句]



 ★散華せし覆土の列や春嵐
 ★啓蟄の行き交ふ気配誘われて
 ★春塵のあの戦争の空気感
 ★再稼働メルトダウンのままの春
 ★合格や先づパチンコへまっしぐら

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狭義の専守防衛に徹せよ



沖縄の島々に、自衛隊の基地が次々と建設されている。与那国島、宮古島、奄美大島、石垣島。もちろん沖縄本島。
その基地が、敵基地攻撃に使用されようとしている。
中国大陸に届くミサイルが配備される。
当然、戦争になれば、真っ先の攻撃対象になる。

沖縄は、太平洋戦争の地上戦で、島民の四分の一が亡くなる悲惨な体験をした。再び、政権は犠牲を強いるのか。
たとえ攻撃を受けようが、敵基地を攻撃するようなバカなことは、決してやってはならない。
狭義の専守防衛に徹すべき。

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平和日本を憂う



いかなる理由であれ、敵基地を攻撃するということは、全面戦争を覚悟しなければならない。
国家存亡の問題であるにもかかわらず、国会も国民も静かなものだ。
あの太平洋戦争の惨禍を、すっかり忘れてしまったようだ。
「絶対に戦争はやってはならない」という国民の総意はどこにいったのか。

昨日から、幕張メッセでは武器見本市が始まった。武器の輸出にも国民は全く無関心。
政界は、
核武装の議論も必要と主張する維新は、国民の支持を集めている。
また、立憲も維新と連携を強めている。
自公は、防衛予算も平然と国債で賄うことまでやり始めた。

私は心配でならない。



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どんなに成長しているか



すっかり新型コロナは下火になった感じ。
感染状況がほぼ正確に予測できる東京都のモニタリングによる陽性率も、4.3%から4.6%にアップしているが、ほぼ横ばい。
インフルエンザも、それほどのことはない。
やっと、長男家族が、今月の25日に帰ってくるという。
3年ぶりの孫の成長を、直に確認できるのが楽しみ。
子供時代は成長が著しい。3年となると、どんなに成長していることか。


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2023年3月14日の菜園状況 [家庭菜園]



収穫中は、
ハクサイ、キャベツ、ワケギ、九条ネギ、のらぼう菜、サラダ菜、サニーレタス、正月菜
生育中は、
スナップエンドウ、タマネギ、イチゴ、ラッキョウ、ニンニク、ソラマメ、六条大麦、ニラ

今冬に発見したこと、
① トマト苗の越冬に成功
こぼれ種から生育したトマト苗を、水につけて越冬させ、2月下旬に、畝に植えてプラキャップを被せて置いていたら、根付いた。
② 金時草の別の越冬方法を発見
今までの越冬方法は、水につけて越冬させていたが、アブラムシ対策に苦労していた。今回の方法は、枯れても畝にそのまま放置させる方法。土の中では、新芽が育っていることを発見。



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政治的公平性を誰が判断するのか



現在、国会では放送法の問題が話題になっている。
安倍政権時の公権力による放送番組への圧力の問題だ。

安倍政権当時、首相はテレビ朝日やTBSのニュース番組を目の敵にしていた。当然、公権力による圧力についても当時から危惧されていた。
当時の高市総務大臣も、国会で、政治的公平性が問題になる放送局の停波もあり得ると発言。
そのころから、政権を批判するコメンテーターが、番組から徐々に姿を消していった。
「報道ステーション」「サンデーモーニング」などなど。
関西のTBS系列の毎日放送も、権力への批判報道が無くなっていった。

この度の総務省の内部文書から、その内実が明らかになった。
そもそも、番組内容の政治的公平性を、公権力側が決めること自体が問題なのだが。


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黒田日銀総裁を国家への背任で逮捕できないのか



一昨日の黒田日銀総裁の退任前の最後の記者会見、
10年間に大量のお金を刷りまくり、政府の借金の半分以上の買い入れ、さらに株の大量購入したことについて、「副作用の面よりも、金融緩和の経済に対するプラスの効果が、はるかに大きかった。副作用が累積しているとか、大きくなっているとは思っていない」。

今後、日銀が少しでも動けば、たちまち国家破綻する状況にまでしておきながら、よくもぬけぬけと言えたもんだ。国民への謝罪どころか、反省のかけらもない答弁だった。
国家への背任で、彼を監獄にぶち込んでもおかしくない。


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山極寿一氏の論考

3月9日の朝日新聞の山極寿一氏の「人類はどこで間違えたのか。共感力と技術 賢い使い方を」の表題の論考に共鳴した。

「人類は進化の勝者」という考えが間違っていると私は思う。
そもそも人類に最も近縁なアフリカの類人猿は、2千万年前から勢力を伸ばし始めたサルたちに押されて、種の数を減らしてきた劣勢の種だった。
サルに比べて消化能力も繁殖能力も劣っていたからだ。乾燥地や平原に進出したサル類とは対照的に、類人猿は現在も熱帯雨林とその周辺にしか生息していない。
一方、地球が寒冷化し始めた700万年前、人類の祖先は直立二足歩行を駆使して、熱帯雨林から徐々に草原へ進出を果たした。それは強かったからではなく、弱かったから縮小する森林にすみ続けることができなかったのだ。速力でも敏捷性でも劣る二足歩行は、自由になった手で食物を運び、安全な場所で仲間との共食を導いて人類の生存を助けた。
人類が粗末なやりを使って狩猟を始めたのは50万年前であり、それまでは肉食動物に『狩られる』存在だった。互いの身を守るために助け合い、集団の規模を少しずつ拡大して肉食動物の脅威を防ぐことが人類の社会力を育てたのである。それは互いの社会関係を熟知して、即座に気持ちを理解し合う共感力によって鍛えられた。共食や共同の子育ては共感力の強化に役立ち、歌や踊りなどの音楽的なコミュニケーションはその触媒となった。つまり、人類は進化の大半を「弱みを強みに変える」ことによって発展してきたのだ。
その共感力に満ちた社会に7万~10万年前、言葉が登場した。それが人間を勝者と見なす大きな原動力になった。言葉によって世界を切り分け、物語にして出来事を因果関係によって解釈し始めた。人間は物語の主人公になり、環境を対象化して世界を支配するようになった。1万2千年前に農耕・牧畜という食料生産が始まったのも、人間を主役にして環境をつくり替える考えが主流になったからだろう。苦難を伴う道だったが、やがて余剰の食料を生み出し、人口を増大させる道を開いた。
しかし、定住と所有という農耕・牧畜社会の原則は個人や集団の間に多くの争いを引き起こし、やがて支配階層や君主を生み出し大規模な戦争につながる温床となった。集団間の争いで死亡する人の割合は巨大文明が発達した3千~5千年前に最大となった。そして下剋上の世の中を生き延びるためキリスト教や仏教などの世界宗教が生まれた。
この時期に人間は、現世の苦しみはあの世で救済されるという考えを抱くようになった。これは人類が長い進化の過程で発達させてきた共感力を、敵意を利用し拡大させる道を開いた。もともと共感力は150人程度の集団で働く顔見知りの仲間意識だ。急激に社会の規模を拡大し、顔も知らない人々が自己犠牲をいとわずに助け合うために、支配層は言葉を弄し、武力を強化し、社会の外に共通の敵を作って団結する仕組みを作ったのだ。今でも戦争の基本的な考え方として力を発揮している。
産業革命はそれまで家畜の力に頼ってきた人間の暮らしを、人工の動力によって拡大することに成功した。しかし、同時に自然の時間を人工的な時間に変える役割を果たした。農村で季節の変化に従って生きてきた人々は、工場が立ち並ぶ都市に集められ、管理された時間に従って生産性や効率を高めることに精を出すようになったのだ。その結果、自然界にはない製品を作り出せるようになり、支配層だけではなく一般の人々も過剰に物を欲するようになった。それが無限の経済成長を信じる思想を育て、海外へ進出して領土を広げ、自国にはない産物を略奪する行為を正当化した。大航海時代と植民地主義はこうして始まり、人々を生まれ育ちや外見で差別する考えは今でも根強い。
人類が成功者として歩んできたという思想の裏に、実は間違えた道筋をたどった歴史が隠されている。地球環境が限界に達した今、人間の足跡を検証し、正しい道へと社会を向かわせなければならない。現代まで私たちは「過去へ戻れない」と思い込み、ひたすら前を向いて生きてきた。しかし、そろそろ過去の間違いを認め、共感力と科学技術を賢く使う方策を立てるべきではないか。
それは言葉の持つ力を正しく認識し、言葉以外の手段を用いた共鳴社会の構築を目指すことが必要だ。個人の欲求や能力を高めることよりも、ともに生きることに重きを置く。新型コロナに慣れて対面が可能になる今こそ、それを真剣に考えるべきだ。管理された時間から心身を解放し、自然の時間に沿った暮らしをデザインする。所有を減らし、シェアとコモンズ(共有財)を増やして共助の社会を目指すことが肝要だ。それは長い進化の歴史を通じて人類が追い求めてきた平等社会の原則だ。現代の科学技術はそれを可能ししてくれるはずである。間違いを認めず、いたずらに武力を強化して、ふたたび戦争を歩むことだけは決してあってはならない。


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