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2010年5月の舞鶴旅行 [自分史]

 

五月の連休に、呑み仲間の友人二人(AさんとBさん)と舞鶴一泊旅行に行った。三人とも昭和25年の寅年。
電車内で、さっそく月桂冠純米大吟醸鳳麟300mlを飲み干した。
綾部で、Aさんの友人の社長さんが迎えてくれた。縫製工場を経営している方だ。その工場には二十数名の若い女性が働いている。中国からの研修生ばかり。三年間の研修中に日本語検定二級を取得して帰国予定らしい。帰国後は有利な条件の就職先が待っているとのこと。
女工哀史を彷彿させる職場や住居や賃金環境だが、休日のお昼時だったが喜々として明るい女性たちに感銘を覚えた。タケノコ狩りの長靴姿の開放的な奥様があってこそか。
昼食は「浮舟」。店名は源氏物語の宇治十帖由来とのこと。畳部屋に足付きのテーブルと椅子の個室は初体験。戦国時代に豪商や大名がポルトガルのワインを呑んでいるシーンがよぎる。舞鶴漁港直送の寿司が旨い。酒は中ジョッキ。
食後、社長さんの車で宮津へ。宮津から遊覧船で、天橋立を見ながら傘松港、リフトで一気に股のぞきの場所へ。古事記の国生み伝説のように天から松林が降りているように見える。
リフトでもケーブルでもどちらでも利用できるが、やはり見晴らしならリフトに限るが、多数の行列に断念、ケーブルで降りた。
夜は西舞鶴高校前の「酒房豊楽」。ひれ酒の量が半端じゃない。二合程度入ったグラスだ。店名と同じ辛口の酒。ひれは二回目が美味しいと店の女性。Bさんは二杯、私は半分をAさんに提供したので、一杯半呑んだ。確かにひれ酒は辛口が合う。さらに、兵庫の有名地酒小鼓吟醸生酒300mlも賞味した。
社長さんの中国土産の紹興酒「会稽山」は十年ものの花彫酒だ。紹興酒はもち米で造った醸造酒で独特な熟成香と辛口の味が特徴。日本酒は年月を経て熟成していくと紹興酒のような香りになり、更に熟成が進むとシェリーの香りがする。醸造酒には共通する香りがあるのだろう。
この店も舞鶴漁港直送。鳥貝のさしみも美味。タラの芽などの山菜テンプラもボリュームたっぷりで旨い。店主の柔和な顔で、ますます酒が進んだ夜になった。
翌朝は、店主に舞鶴漁連の競り市に連れて行っていただいた。縫製工場の社長さんには、綾部駅から競り市まで御案内いただき感謝している。「酒房豊楽」での燗酒の飲みっぷりと飾りっ気のない人柄が印象に残る。
舞鶴は東舞鶴と西舞鶴に分かれる。西舞鶴は池田藩城下町であり、東舞鶴は海軍の軍港として発達した。西舞鶴は、明智光秀の娘ガラシャ婦人の義父であり古今伝授の細川幽齊や森鴎外の山椒大夫の安寿姫などBさんのような歴史好きにたまらないようだ。
舞鶴界隈は、地酒白嶺酒造の酒呑童子の看板がやたら目についた。
京都・西舞鶴間の乗車券と特急料金(座席指定)約2500円が、京都・東舞鶴間は3400円。一駅違うだけで900円も違う。ちなみに西舞鶴・東舞鶴間の乗車券は200円。もっと安い乗り方あったのではと悔やまれる。
東舞鶴の舞鶴港遊覧船は30分コースながら、イージス艦などの艦船が間近にあり迫力満点だった。更にイージス艦の艦上見学までできた。大砲からミサイル仕様に時代が変わったことを実感。ボランティアガイドの自衛官OBの木訥(ぼくとつ)とした説明が良い。
昼食の「卑弥呼」という店は、待ち客がでるほどの評判の店だ。タクシーの運転手が連れて行ってくれた。この店も舞鶴漁港直送。舞鶴発祥の肉じゃがと海鮮丼と中ジョッキ。昨日の呑み過ぎがなければ、地酒でじっくりいきたかったところ。
舞鶴最後の訪問地は岸壁の母で有名な引揚記念館。子を思う母の偉大さに感銘を受けた。
母親に甘えた頃が懐かしく、もう一度懐に抱かれたい思いに駆られた。
Bさんのお父さんはシベリアの引き揚げ者とのこと。下賜された銀杯を三兄弟で分け合ったことやバイカル湖を一日中汽車で走った父親からの思い出話を語ってくれた。
私の父は明治43年生まれだから戦時中は30代であったが、結核療養のため軍隊経験がない。片肺をなくした父は卵の卸の商売で4人の子供をよく育ててくれた。66才で亡くなった。
Aさんからお土産「久米島の久米仙ブラック5年」の泡盛を頂く。泡盛は米こうじ100%の蒸留酒でまさに全こうじ仕込みである。

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