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児童文化研究会 [自分史]



大学入学の時、東大紛争真っ只中で、広島大学でも紛争が激しく半年間は授業が無かった。正門は椅子と机で封鎖され、教授たちは学生たちに糾弾されていた。沖縄はまだ米国領であり、沖縄奪還デモに参加したこともある。
最も仲良しの友人は、鹿児島ラサールの卒業生でありながら、真面目に勉強する訳ではなく、彼も私も適当に遊んで適当に学生生活を送るようなタイプであり気が合った遊び仲間だった。
二年生の時、二人でいつものようにうろついていた学生会館で、和気あいあいとサークル活動していた女性たちのグループに出くわした。児童文化研究会という文化サークルであり、男性は女性たちに埋もれてわからなかったが、部員は男二人と女十数名。パチンコ、マージャン、ビリヤード、ボーリングや喫茶店めぐりだけでは、なんとなく面白くなかった我々はすぐに入部することにした。
この会には影絵と子供会の二つのグループがあった。影絵グループは影絵を自ら製作して、地方の田舎で公演活動をしていた。確か「龍の子太郎」だったと思う。一方、子供会グループは、原爆で被害を受けて三十年近く経っていたが、本川流域の通称原爆スラムに住んでいる家族の子供を集めて、子供会を運営していた。
入部すると、部室にたむろするのが日常になっていった。今となっては、どんなことをしていたのか思い出せないが、とにかく楽しかった。
妻と出会ったのは、この児童文化研究会であり、妻が一年で私が二年。


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