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2010年12月山口旅行悠久の時の流れと雌伏の二百七十年 [旅行]

寒波の天気予報を気にしながら、妻と山口県の萩温泉と湯田温泉にそれぞれ一泊した。

私は山口県の隣の広島県の出身であり、六十年以上前の小学校の修学旅行は秋吉台と秋芳洞だった。その時に、プラスチック製の箱の中の一から十五の数字の書かれた一センチメートル四方のプラスチック板を並べ替える遊び道具を土産に買った。そんな微かな記憶に耽りながら、バスガイドの話を聞いた。

秋吉台は、三億年前に海底の珊瑚礁が隆起して出来上がった。その珊瑚礁が雨により溶けて出来たのが秋芳洞だ。真っ暗な秋芳洞の池の中から目が退化したエビが最近発見されたらしい。四百五十万年に人類が出現するはるか太古から、想像を絶するほどのゆっくりとした速度で変化する鍾乳石とその環境に合わせるように同じ速度で目を退化させたエビ。悠久の時の流れに畏敬の念を覚えた。

萩の松下村塾は静かなたたずまい。年の瀬と寒さのせいか観光客はまばら。松下村塾の隣の実家には、吉田松陰が読書をしながら足踏みした木製の米搗き機が残されている。時代は違うが、私の生家にも同じ米搗き機があったことを思い出していた。

関が原の戦いで破れた毛利藩は、中国地方一円を治めていたが、徳川幕府により萩の片田舎に追いやられてしまった。それ以来、徳川二百七十年間冷や飯を食わされ続けた。この屈辱は親子代々受け継がれて幕末に一気に爆発し、明治維新をやり遂げる原動力になった。雌伏二百七十年の冷遇時代に、毛利藩は教育と蓄財に力を入れ、吉田松陰を生み、高杉晋作や伊藤博文を育て、最新式の銃や軍艦を外国から購入した。
自暴自棄にならず、時の来るのを、ひたすら待った。それにしても、人の一生を考えると二百七十年は長い。吉田松陰らは歴史に名を残したが、反骨心を代々伝えた先祖たち無くしては、萩からの明治維新は無かったに違いない。


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